荒唐無稽

わたくしは、極めて合理的で、理知的な人間と思うのですが(自分で言うなw)、


ときどき、なにかものすごく荒唐無稽なことを、したり顔で言って、人を不快にさせているのだろうと感じることがあります。


たとえば、私は最近、ここでも書いたおかしな占い師にすすめられた『アルケミスト』という小説を読んだのですが、


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そこに、「ごく幼い頃には、人は誰しも自分の使命を知っている。しかし、大人になるにつれてそれを忘れ、物事の道理や生きていくための賢い選択を優先しはじめる。しかし、勇気を持って、その頃に夢見たことを一生の仕事として追いかけよ。それが自分も、そして人のことも幸福にするのである」みたいなことが書かれていて、


私はそれが、ものすごく腑に落ちたんですね。


ああ、そうなのだろう。まったくその通りだろう、というふうに。


そして自分が幼い頃に見た夢や空想していたことを思い出し、いろんな「判断」からすごく遠まわりをしたけれど、いまやっと、幼い頃に夢見たように人生を歩み出す勇気が持てている気がする。だからこんなに私は、たとえ苦しくても幸福と感じていられるんだ、と思ったのです。


その気づきのようなものが、自分にとってあまりにも鮮烈だったために、一緒にお酒を飲んだりするような仲がいい友人やお仕事関係の人に、「ちいさい頃、どんなことを夢見てた?」「それを追いかけるのが幸せなんですって」って、


ちょっとした軽い話として、話したりしたのです。


そう、私にとっては軽い話。無邪気に信じた話。


そして、その相手のことが友人として好きだから、「こないだ読んだ本に、こんないいこと書いてあったんだよ」って伝えたくて話したようなこと。


その時、私にいちばん近しいさるもさんは、「そりゃそうよ(てか、知らなかったの?)」って感じだったし、


淑女連のみんなも「へぇ〜、そうかもね!」って感じで、「ちいさい頃、何になりたかったぁ?^^」「あー、けっこう近い仕事してるかもー」「あたしは定年後にがんばるわー」みたいに盛りあがりました。


でも、すこし離れたところの人に話した時、こういう話がひどく気に障ったり、戸惑いを感じたりする人がいる、ということに気づきました。


それまで楽しくお話していたのに、サッと顔色が変わって侮蔑の色が浮かんだり、


呆れたように「雪ぐまさんって、たまにえらく抽象的なことを言うよね」と言われたり、


その場は「あー、面白いっスね」と笑っていたのに、そのあとブログで「シーシェパード並みに荒唐無稽なことを言われたが、真顔で話してたのでツッコめなかった件w」みたいに書かれてみたり。


その人たちがね、私のことキライかというと、どうもそうではないと思うのね。


むしろ、私のことをわりと好きだろうと感じる人たち。(じゃなきゃ、私も話さない)


熱心にお仕事をまわしてくれたり、食事に誘ってくれたりね。気に入られてるなって感じる人たちです。


ところがそのくまちゃんが、心の底でなんの根拠もなくただ信じてることを開いて見せたときに、つまり率直になったときに、ものすごい齟齬が起こって、ひずみや軋みが生まれてしまう。


その人の中にも、私の中にもね。


価値観の違い、という言葉が思い浮かび、そしてどちらも間違っていないのだろうと感じます。


日常生活の上では、まったく問題はない。友達でいることも、仕事仲間でいることも。


だって、あなたはあなた、私は私だから。


ただ、たとえば一緒に生きようというようなことは決して無理だし、より親しく心を繋ごうと考えても、どうしてもむずかしいだろうなと考えて、すこし寂しくなる。


私が思うことを、なんのフィルタもなく、率直に話し続けたなら、この人は私を嫌い、離れていってしまうと思うから。


そういう意味で、率直なればなるほど、人は自然に、そばにいてくれる人が決まってくるのでしょう。


なんだかんだ言って淑女連が、理論の裏付けなどなにもない、直観的にただ信じて話しただけの私の話を「おもしれー」「あたしもそう思うー」なんて楽しんでくれたように。


気遣いとして相手の価値観を尊重したり、場の空気を読んだりすることは大切なことですが、


私はなるべく率直になりたいと思っています。もしそれで、結果的に、何人も人が離れてしまっても。


こんなこと、決意することでもなんでもないかもしれませんが、意識的でいないと、また私は余計に人を不快にしてしまう。


そして自分自身も心で納得できないことを頭で納得しようと抑え込み、余計に太ってしまう。


あ、太ってしまうのはそのせいじゃないかw^皿^


まあ、完全に無関係でもない、と、思ったりするんですけどね。


さて、皆様はどうでしょうか。


たぶん、思うに、私の小説が好きだと感じてくださる方は、私が直観的にただ感じてることを、なんとはなしにわかってくださる方なのだろうと思います。


小説としての巧拙はともかく、そこになんらかの共鳴が起こっているというか。


でも、私の小説がただ稚拙であるとか、くだらない、あるいはキモいと感じる方も、少なくないように思います。とにかく不快だと。


それは仕方がない。どちらが正しいわけじゃない。それを覚悟しながら、私は率直でいたいと思います。


こんなこと、決意することでもなんでもないかもしれませんが、意識的でいないと、一文字も書けなくなってしまうのです。