確固たる、曖昧なスタンス

先日、ここで「私はわかりやすい」と紹介した武田教授のブログに、「ほとんどの日本人が、もう政府の発表を信じていないでしょうから、大丈夫と思いますが、老婆心まで。」という書き出しで書かれた記事があって、思わず吹き出してしまいました。


→武田邦彦氏(中部大学教授)のブログ


この方は、はっきりと物をおっしゃって気持ちのいい方ですね^^
さまざまな回答や提言も、情があって誠実だなと感じます。


さて、しかしながら、「ほとんどの日本人が、もう政府の発表を信じていないか」というと微妙だと思います。


世の中には「お上(かみ)を信じたい人」もいっぱいいるし、地震被害だの原発被害だのに、はなから「興味がない人」もいっぱいいるからです。


てゆうか、そういう人もけっこういるんだなというのが、今回の一連の災害で私が学んだことのひとつだわ。


他人事だから興味ないというならまだわかるのですが(私個人としては断じて理解できませんが、理屈としてはわかるということ)、自分にも関わってるでしょう? 他人事じゃないでしょう? という状況でも、たいして興味なさそ〜という人もいるのです。


ま、自由ですね。いざ「想定外」という流行りの事態(?)になったときに、キャッとなって慌ててもしらないわよ? とハラハラしますが、それこそ老婆心なんでしょうね。


人って結局、理にかなったアドバイスや解決の方法なんて求めてなくて、ただ「共感」を求めてるんだなって、最近、よくわかります。


「共感」が上手な人というのが人を癒せる人であり、愛される人なんですね。


重々わかっているのだけれど、私はどうも共感するのが下手なのよね^^; 癒しのくまっこへの道のりは遠し。人生、課題が多くて楽しいわ(^皿^)。


と、こういうことが書きたいんじゃなかった。ええとね……、


放射能に関していえば、私は政府や御用学者といわれる人たちを喝破している武田先生のブログも読むし、「安全」「ただちに健康被害はない」と主張している政府や学者さんたちの話も聞きます(こちらは主にテレビで)。


個人的には「ただちに」ってなによと思うけど、そういわなきゃいけないんだろうなーということを考えてみるのは、それはそれで興味深いです。


単純に言うと世の中パニクられたら困るからそう言うんでしょうけど、人の安心安全を考えれば心配性なくらいに幅をとって「危ないかもしれないから気をつけて」とアナウンスするのが人道的じゃないかなと個人的には思う。


でも、そういう路線では困る人たちもいっぱい出てくるのね。


たとえば農家さんは、あきらかに健康被害が起こるほど放射性物質がついてたらそりゃもう廃棄やむなし迷いなしでしょうけど、そんなもう、虫がちょっとついてるようなレベルでちょろっとヨウ素ついたからって規制されたらたまらんわ、洗えば落ちるでしょうがと思うでしょうし、


なにもついてないのに「放射能こわい!」イメージで風評被害なんてもっとかなわないから、そりゃ「煽るなや!」「よっぽどじゃない限り怖くないってゆえ!」ってなる。


どっちも守らなきゃいけない国民の声だよね。


もーとにかくまるっと東電が補償しなよったって「一企業では無理」とかさじ投げられちゃうんだろうし、じゃあ国が補てんしろったって財源がないの号泣、みたいな。


そして財源は、結局は私たちの税金なんだなぁ。(みつを風)


みんな違って、みんないい。(金子みすゞ


とはいかないのが世の常なのでしょう。あちらを立てれば、こちらが立たずね。


だから、私個人としては両方の話を聞いて、自分のスタンスを決めて、そこからほどほど「ま、いいか」というマイルドな判断するようにしているの。


そりゃ我が身は大事だけど、日本を捨てて逃げる気にはなれないから社会のことがあれこれ心配だし、危ない水や野菜は(農薬等々も含めて)遠慮したいけど、農家さんたちのご苦労や経済的打撃をまったく思わないかというとそうでもないし。


結局のところ経済が冷え込むとまずいという懸念もわかるしね。


だから、水も野菜も気をつけてるけどヒステリックにならないようにしてる(たまにいるよね)。


そして、面倒とか仕方ないとかいう理由でまったく鈍感にならないようにもしてる(たまにいるよね)。


曖昧スタンスの私は、ごく曖昧にが性に合ってるみたい。


なにしろ信用も大事だよね。


横並び根性ではあるけど、たとえば訪問先でお茶を出されても手をつけないとか、みんなでランチに行った時、ひとりだけペットボトルのお水もちこんで、出された水を飲まないとか、そうなってくると現状の東京では、わずかな放射能よりも周囲から「こいつ何?」って思われることのほうが被害が大きいよね^^;


逆に、気をつかってミネラルウォーターでお茶を淹れてくれた人を、「気にしすぎっスよ」と笑うのも失礼な話だしね。


まず、自分の考えをはっきりさせとくことが大事で、どこまで相手に合わせてさりげなく譲れるかを考えること。


そこが気弱すぎても、無神経すぎてもだめだ。


個人レベルではそんなささいなハナシだけど、国家レベルになると大問題に発展してくる。
今ってなんか、そんな感じ。