宮城から帰ってきました

義援金を寄付させてもらおうと思って、気仙沼の市役所に行きました。
受付窓口があると聞いていたからです。


ロビーにいらした職員の方に「あのぅ義援金の受付は…」と話しかけたら、「こちらです」と案内されて、


そうしたらそこにいた男性職員の方が立ちあがって迎えてくれ、椅子に案内してくださいながら、とても落ち着いた声で「申し訳ないのですが一枚書類を書いてもらわなければならなくて……、亡くなられた方のですか、行方不明の方のですか?」と聞かれたんです。


最初、話がわからなくて、「え? いや、いま避難生活を送ってる方に義援金を…」とか思ったのですが、すぐにハッとしました。


そうか、ここには義援金を持ってくる人よりも、義援金を受け取りにくる人のほうがずっと多いんだ!


あわてて、「いえ、ちがうんです、私たちはあの(汗)」とかしどろもどろになって、そしたらやっと市役所の方も「ああ!」と気がつき、笑って寄付のための受付に案内してくれました。


そのときも「わざわざありがとうございます」「お疲れ様です」とやさしくおっしゃってくださっていたし、寄付受付をしてくださった福祉事務所の女性も穏やかな笑顔で「遠くからありがとうございます」とおっしゃってくれたばかりか、「(被害状況は)もうご覧になりましたか?」と言って、すこし当日のお話までしてくださいました。


雪が降っていて寒くて、こんなことになると思わなくて、(仕事の)パソコンを持って逃げればよかったのに、ここは高台だからまさかと思っていたけど一階全部に水がきてしまって、(市民の福祉関連の?)データがなくなってしまって、こんなことになってしまったのに(手続きが?)たいへんになってしまって申し訳なかった、でもあちこちの県から応援が来てくださって本当にありがたくて申し訳なくて、というようなお話でした。


私はもうそれでますます胸が痛くなってしまって、あああもうこちらこそこんなわずかばかりの義援金のためにお仕事の手を止めさせてしまってごめんなさいと動悸が速くなったくらいでした。


宮城にはコパちゃんたちと行ったのですが、コパちゃんは気仙沼の海産物がもしどこかに売っていたら買いたいとずっと言っていて、募金の後、商工課をのぞきに行きました。


そして目につくところに情報がなかったので、おそるおそるドアを開けて、「あのぅどこかに売ってるところは……」と聞いたらば、その場にいた職員さんたちがみんな集まってきて、「ぜんぶ流されてしまったんですよ…」と言いながらも、すこし離れた道の駅にはすこし置いてるはずとか、あの店はどこそこに店舗を移して営業してたと思うとか、新聞に載ってたかもとか親切に調べて教えてくれて、やっぱり「ああああ……(こんなことでお仕事の手を止めさせてしまってごめんなさぃぃぃ…)」となったと言っていました。


そして教えていただいたお店に行って、みんなであれこれ買いました。
品数はとても少なくて、でもそんなの当たり前なのにお店の人は申し訳なさそうにしていました。


なぜ、こんなに素朴でやさしい目をした忍耐強い人たちが暮らす町が、ぐちゃぐちゃにならなきゃいけなかったのだろう。


沿岸部はぐちゃぐちゃです。
ニュースで見るあのとおりです。


しかしすごく驚くのは、ほんとうに海ぎわのすぐ近くに行くまで、とても穏やかで広々と美しい、のどかな東北の風景が続いていることです。


ナビが「気仙沼市役所まであと1キロです」と言っても、まあ普通の田舎の商店街?(失礼)が続いていて、ものすごく緊張していた私は逆に拍子抜けして「……あれ?」くらい思っていたのですが、


市役所を超えて海側に一本道を曲がったら、いきなり別世界でした。
あまりにも淡々と現われた、静かなぐちゃぐちゃの景色でした。


なんとなくまとめられて積み上がっている瓦礫、ひしゃげた住宅と車、重油の臭い、完全に港に乗り上げてひっくり返っている船。散乱する生活用品や色とりどりの布団。それらが、けっこうな割合で黒焦げになって、雨に濡れていた。津波の後に火事が来たから焦げているんだなと、妙に冷静に思いました。


それから散乱する生活用品がどれもどこか昭和の雰囲気があって、転がってる扇風機とか家具とかも型がものすごく古くて、質素につつましく暮らしていたお年寄りがたくさんいたんだなとわかる。


これをだれがどうやって片づけるんだろう。
とにかくものすごくお金と時間がかかりそうということが、お腹が痛くなるくらいわかりました。


なんだか悲しかったとかショックだったとかそういうふうには思わなくて、これが現実かと頭がどんどん冷静になっていって、なぜかお腹が痛くなったのよね。涙とかは出なかった。そんなのどうなるものでもないもの。とにかく市役所に行って寄付しようと思った。そのくらいしか私にできそうなことはないし、そうして帰ろうって、そう思っただけでした。


とにかくあれはお金がかかります。もう莫大にかかると思う。
だから、ちょくちょくニュースやネットで様子を気にかけて、しかるべきところに寄付なり、支援なりを、長期にわたって継続しなければならないと思う。


おそらく物資は足りてると思う。
ほんとにすぐ近くまで、当たり前の生活が、社会が動いてる。そこから物資は届きます。
だからたぶん、いくらあっても足りないのはお金。


それから商業や観光の復興。
仙台はけやき通りがとても清々しくてきれいな町。
また後日書きますが、われら秋保温泉に泊まりまして、そちらもなめらかな泉質でお肌つるつるになるし、いいところでした。


そのあたりは、ほんとに驚くほど「普通」です。「平気」です。


これもまた後日書きますが、宮城で出会った方々、みなさんとても奥ゆかしくてお人柄がいいです。
他県の人に怖がられるのは仕方ないけど、なんとか怖がらずに来てもらえたらと思ってる。
仙台などの都市部や内陸観光地に来てもらって、そして被害の大きかった沿岸部をなんとかしていかなきゃと思っているのだろうなと感じました。


仙台の街は人通りも多くて、お店も普通にやってて、ミネラルウォーターなんて東京より売ってるくらいで、でもやっぱり、若い人たちでも馬鹿みたいに騒いでるとかつるんでたむろしてるみたいな人たちはいなかったな。


大きな痛みに静かに沈んではいて、でも当たり前に暮らしてる、きちんとやってこうとしてる、そういう印象を受けました。