いろんなかんがえ

宮城1日目は、29日から再開していた秋保温泉の旅館に泊まりました。


例年よりはもちろん全然少ないのでしょうけど、それなりにお客さんがいて、でも3分の1くらいは道や建物を直しにきた建設会社の方たちやボランティアの方々みたいでした。


コパちゃんが休憩所にいたら、若いお母さんが「どちらから?」と話しかけてこられたそうです。


そのお母さんはなんと被災地の方で、ご両親を連れて骨休めに来たとのことでした。


その方のお住まいは幸い津波の被害はまぬがれたそうですが、道一本挟んで向こう側はほぼ全壊というような状況だったそうです。


お子さんが小学校に通っているのですが、同じ学区内に、家もなにもかも流されてしまった子と、難を逃れた子が混在している。


昨日も書きましたが、本当にその差たるや驚くほどなのです。


津波をまぬがれたところは、大地震があったなんて信じられないくらいのどかな感じだし(もちろん内情は大変なのだと思いますが見た目的にはということです)、津波にのまれてしまったところはぐしゃぐしゃの瓦礫の山です。


ですから、子どもたちの生活も歴然と分かれてしまうんですね。


避難所暮らしで着替えもなくてずっと同じ服で学校にやって来る子と、いろいろ不便でもとりあえずおうちはあって着替えなどは困らない子と。


そんな中で卒業式が行われることになり、保護者は事前に集まって相談をしたのだそうです。みんなそれぞれに卒業式用のきれいなお洋服を用意していたそうですが、ほら、瓦礫側の子たちは当然そんなの流されちゃったわけですよ。


ですから、その子たちに合わせて、みんなが平服で参加とすべきかどうか。


でも、結局、話はうまくまとまらなかったそうです。
ここは心ひとつにみんなで平服にすべきだろうという親もいれば、こんな時だからこそきれいな服を着せて卒業式を迎えさせてやりたいという親も多くて。


子どもたちに津波の被害を見せるべきかどうかということも、意見はまっぷたつだったそうです。


瓦礫側の子たちはもうどうしようなくその惨状を見てしまいますが、そうではない子たちには「あの道より向こうに行っちゃだめよ」「体育館(避難所)に行っちゃだめよ」といえば、なにも見せないことが可能だったのです。


現実なのだから見せなければと思う親もいれば、心の傷になったらかわいそうだから(?)見せたくないという親もいて。


いろんな考えがありますね。


もし私が親なら、きれいな服は家族写真の中にだけおさめて、「卒業式は平服で出なさいね、つらい思いをしているお友達が多いのだからね。もうすぐ中学生なのだからわかるでしょう?」と言うと思います。そうして反発があったとしても、思いやりの気持ちと行動について考えてみてほしいと感じるのではないかなと思います。


津波の惨状は、見せると思います。
ただでさえ日々の地震で不安になってる時でしょうから、心の傷は怖いけれど、でもしっかり手をつないで、抱きしめて、一緒に見に行くと思います。


自然の脅威や、世の無常を、誰だっていつかは知らなくちゃいけなくて、きっとこの子はいまがその時なんだと考えると思う。


私は、私と私の子どもを信じてそうするでしょうね。


でも専門的にどうかということはよくわからないし、子どもの個性もあるし、なにより他のお宅の教育方針に口を挟むわけにはいかないので、意見が割れるのはやむなし的に見てるしかないんだろうな。お互いにつらいだろうなと思います。


そんなお話を聞いていて、日頃は聞き上手のコパンダちゃんも、さすがにどうお言葉をかけたらいいか迷ったようですね。


だって、余震があるとはいえ、東京なんて…ですからねぇ。


でも、そのお母さんはにこにこして、「来てくれるだけでうれしい。ありがたい」と言ってくださったそうです。


東北の方の奥ゆかしさというか、なんというか。ほんとマジで大変でしょうにね。会った人だれも「たいへんだ」「つらい」とはおっしゃらなかったですよ。「来てくれてありがたいです」とか、「まあ、なんとかなりますよ」とか、そういうふうにおっしゃるのね。


宮城、またすぐにでも行きたいですね。
おいしい居酒屋さんもちゃんと営業してたしね、びっくりするくらいおいしいお刺身が出てきて、地酒のお話もいっぱいしてくださってね。これはまた今度書こうかな。


とにかくいろいろ考えて、私のほうが元気をもらったり、癒されたりした旅でしたね。


私は以前、青森に行ったときも奥入瀬やらなにやらにとても感動したし、東北、好きですね。


皆さまも機会があったら、ぜひ東北に旅してみてくださいね^^