偽物と本物

夕方、外出先で思いがけず時間が空きました。
お茶を飲みながら読む本を探そうと書店に立ち寄り、平積みになっていたエッセイ集を手に取りました。


知らない著者でしたが、フランスの食卓について書かれているとのことで、興味を惹かれたのです。
ぱらっと開いたとき、あまりきれいなレイアウトじゃないなと思い、一瞬ためらいました。
でも、文庫本だし、こんなものかと思って購入しました。


コーヒーを注文し、さっそく読み始めたのですが、しばらくすると私はいらいらし始めました。
たいしたことが書かれていないうえに、いちいち感じの悪い文章だったのです。


たとえば、「それでは最後に、ワイン選びのコツをお話ししてこの項を終えよう。」なんて、大上段に構えた前ふりをしておいて、肉だから部屋の隅にしつらえたワインラックから赤を取りだしてもいいし、でもなんなら白だってかまわないし、ようするにあなたが今宵のワインアドバイザーなのである…なんて話がしゃらくさく続くのです。


ちっとも役に立たないうえに、もってまわっていて、たいへん偉そう。
いちいちこんな調子なので私は呆れてしまい、4分の1も読まないうちに腹が立ってやめてしまいました。
だって、ハイソ気取りのひねくれマダムが書いた、へたくそなご自慢ブログみたいなんだもの。
こんな文章の人が、プロのエッセイストだなんて。
編集者の見識までうたがいつつ私は、昔好きだった人の言葉を思い出しました。


「アフリカの木の無駄遣い」


読書家でとても本を愛していたので、駄本にあたるとそう言って、心底憤っていたのです。
私も今日の本は、ほんと資源の無駄遣いと思いました。
たった600円の文庫本だけどすごく損した気がして、というか、売り上げに貢献してしまったと思うと悔しい。


そして読むうちに気づいたのですが、そのエッセイストは都内に焼き菓子の店を持っていて、私は以前、その店に行ったことがあったのです。
フランスの食文化に詳しいエッセイストの店ということで、やはり興味を惹かれて行ったのですが、インテリアや器のセンスがいちいち安っぽいうえに(それなりのお値段を取る紅茶を、茶渋のついた急須みたいなので淹れてきたり!それが美しければティーポットでなく急須でもいいと思うけど、どうみても100円ショップ系なの!)、肝心の焼き菓子もたいしておいしくなく、紅茶もぜんぜん香りがしなくて薄いし、なにこの店…って感じで早々に退散したのでした。


だから、それはすごいな、って思った。
すべてのものは、やはり人に深く関わっているのですね。
私は、その人がつくりだすものは、空間であれ、お菓子であれ、文章であれ、好きではないということ。
本を買う前に気づいていたら買わなかったんだけど、知らずに買っても、やっぱり「なにこれ?(怒」って感想を抱いてしまうほど、わかってしまうものなのです。


もちろんその方が好きで、話を聞かせてほしいという人もたくさんいるのでしょう。
だから、私は嫌いというだけの話なんですけれども…。


とにかくまあ、私はむかむかして本を閉じ、席を立ったのです。
まったくもって不愉快な夕暮れでした。




その話をさるもたんにしたら、彼女も例の店は知っていて、さもありなんと頷きました。
そして、「フランスの食卓に興味があるなら、この本のほうがいいと思うよ」と、本棚から一冊の本を取り出してきて貸してくれました。


『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』石井好子


今さっき、読み始めたのですが、これがすっごくいいです。
これこれ、今日はこういうのが読みたかったのよー(TωT)という感じ。


なんてことないフランスの思い出話だけど、文章に品があって、凛としてかわいらしくて、お料理には食いしん坊らしいこだわりがあり、つくりかたもていねいに書いてあって、わーおいしそう、つくってみようかな〜って思えるの。
簡素な壮丁だけれど、昔ながらの写植文字が使われていて、それもなんとなく心和みます。
つまり、美しい本なのよね。


うーん、やっぱりさるもたんが選ぶものは、私は好きだな。
本もそうだし、インテリアも、服も、ちょっとした小物まで、この人センスいいなって羨ましく思う。
さるもたんのつくるものも、すごく好きだもんね。
お料理とか、空間とか、言葉の選び方とか、微妙カオスな荒らしトークとかw
あんまり俗っぽい感じがしないのよね。


文章もとても味があるから、たぶん彼女が小説やエッセイを書いたらすごいんじゃないかなって思うんだけど、どうもその気は一切なさそうなので、せめて「小料理屋さる」が実現することを祈ります。


それか「カフェさる」ね。「さるカフェ」でもいいけどw
私はたぶん、かなりの時間、居座ることになるでしょう。
てか、淑女連のたまり場よねw