「女性化」ってなに。

先日、お仕事で、とある企業の社長さんとお話をする機会がありました。


どこの企業も、業績を伸ばすのに必死です。
といってもモノが売れない世の中ですから、
経費を削減するというのが重要課題となります。


その対策として、社長さんは言いました。
「うちの企業は、女性化を進めています」


一瞬、意味がわからず「?」となったのですが、
それは「賃金の高い社員を減らし、賃金の安いパート労働者を増やす」という意味でした。
パート労働者=女性という発想なのです。


単に数を増やすだけではなく、労働範囲も増やします。
つまり、これまで社員が行っていた仕事をパートさんにどんどん任せ、
責任とやりがいをもって働いていただこうと、こういうわけです。


パートさんにも、どんどん管理職になってもらうそうです。


今、こうした戦略をとる企業は少なくないでしょう。
デフレの世の中で、安くて良い品を提供するには、
安くて優秀な労働力が必要ですから。


でも、なんだか腑に落ちませんね。
「女性のほうが優秀」「その女性の能力をもっと経営に生かし」と、
口当たりのいいことを言っておられるのですが、
私には「女(とくに主婦)は、安くてよく働く」というふうに聞こえてきて、不愉快でした。


安くて、よく働く。最高ですね。
自分が仕事をする時、賃金以上のパフォーマンスを見せるのは大事なことです。
それが期待に応えるということだし、先方の満足感につながることだから。
むしろ今の時代、そうでなければ仕事なんてもうないのかもしれません。


でも、使う側に、その誠意をうまく使ってやろうという考えが透けて見えると興ざめですね。
賃金は上げないけど、おだてて、うまくやらせよう的な。


働く側も、きちんと自分の能力を把握し、時には交渉する勇気が必要でしょう。
思いあがりではなく、どう考えても正当に評価されていないと感じたら
不服にくすぶっているよりも話してみたほうが良いと思うし、
(言われるまで不満に気づかなかったというのは、よくあることです)


他に、もっと自分を高く評価してくれる企業や仕事があれば、
そちらに移るのが賢明でしょう。
資本主義社会では、そうして自分の価値を自分で高めていくしかないところがあります。


それもこれも、まず自分にそれなりの能力がないと…という厳しい話ですけれども。


しかし、とても能力があって「自分でビジネスしたらいいのに」と思うような人が、
企業の1パートとして、ぼんくら管理職よりも安く、
しかもうまくこき使われているのを見たりすると、
他人ごとながらほんとうに、忸怩たる思いがします。


お節介ですね(笑)。


でもほんと、「女性化」なんて言葉を聞くと、
ひどくやりきれない思いを感じてしまうのです。