まだまだ続く、マザーの話。

いつ、マザーテレサを知ったのかもう覚えてないけれど、
マザーを好きだなと思ったのは、彼女のいろんな武勇伝を知ったからでした。


彼女はある日、ローマ法王からじきじきに高級車をいただきました。
権威に弱い人ならそれをありがたく使うと思うし、
そうではなくてもそれを売って貧しい人たちのために使おうと
思いつくくらいが関の山だと思うのですが、


マザーはなんと、その車を「景品」にして宝くじを発売!
車の価格の5倍もの資金を集め、
貧困者のための病院建設の資金を捻出したのだそうです。


また、ヴァチカンに貧困者があたたかい食事をとったたり、
シャワーを浴びたりできる施設をつくったのも彼女だそうす。
当初、ヴァチカン側は「管理がむずかしい」と難色を示していましたが、
マザーが「設立の許可がでない限り、私はここから動きません」と
大司教の事務所で朝8時から立ち続け、夜9時になっても動かない。
とうとうヴァチカンが根負けして、施設の設立許可が降りたのだとか。


保守的なキリスト教徒は、信念の為に手段を選ばぬ彼女を
「地獄の天使」と非難しました。


ヒンズー過激派は、ヒンズーの聖地ベナレスで活動する彼女を
キリスト教は出て行け!」と妨害しました。


そんな彼らに、マザーは繰り返しこう語ったと言います。
「人間を中心に考えて下さい。宗教のことは考えないで」


実際、彼女は看取る人たちをキリスト教に改宗させるようなことはなく、
その人の信じる宗教で葬儀をあげていたそうです。


こうしたことも心惹かれた理由ですが、
一昨夜、あちこちサイトをのぞいていて新しく知ったことにも
私は深く感銘を受けました。


「神よ、今日は孤独の苦しみがどれだけひどかったことでしょう。
 いつまで私の心が、この苦しみに耐え続けられるかわかりません。


 涙はとめどなく流れ落ちました。
 すべての人が私の弱さを見るでしょう。


 神よ、今こそ自分と、そして誘惑者とたたかう勇気をお与えください」


この一文は、初期のマザー、
たったひとりでカルカッタの貧困街で活動を始めた頃の
日記に書かれていた記述なのだそうです。
38歳前後のことです。


こんなマザーもいたんですね。
実際、マザーの活動は筆舌に尽くしがたい苦難と共にあり、
カソリックの仲間だけでなく、貧しい人々からさえ、
理解を得られるまでに長い時間がかかったようです。


そして、マザーの心はいつも晴れやかだったかいうとそうではなく、
自らについて「微笑みは仮面」と記してみたり、


ノーベル平和賞を受賞した年にさえ、耐えがたい心の闇や
信仰への疑念を親しい人に打ち明けた手紙が残っているらしく、


死後それがいくつか公となって、
そのことをショックだ、スキャンダラスだととらえる向きもあるようですが、


私はなんだか、かえって「いいな」って思ったんですよね。
なんでしょうねぇ、一人の生身の人間として。


マザーだって迷い、苦しみ、悩むんだものね、という安心感?
それって、ちょっと身勝手な理由だけど。


 涙はとめどなく流れ落ちました。
 すべての人が私の弱さを見るでしょう。


なんだか安心するフレーズ。
すべての人が私の弱さを見るでしょう。


そうね、弱くてもいいとまだ思えないけど、
いつかもっと高く美しい場所に、きっと辿りつけることでしょう。