つらつらと思いだすこと

私が初めておつきあいをしたのは、「真弓くん」という男の子で、それは小学校一年生の時のことでした。


なにがそんなに不満だったのかたいそう気むずかし屋だった私は、保育園でお友達がひとりもいなく、保母さんにもなつかず、お昼寝の時間をやたら嫌って脱走を繰り返すというありさまで、両親と祖母をたいへん心配させておりました。


小学校に入っても、当たり前のように友達はできません。


しかしながら私は不思議と読み書きが得意で、というよりも本を読むくらいしか時間の過ごしようがなかったのかもしれませんが、お昼休みや放課後はひとり図書館に入り浸っていました。


真弓くんはなぜかそんな私に興味を持ち、せっせと追いかけてきては熱心に愛を語ってくれたのです。


ほんとに「好き」「つきあって」「結婚して」って騒いでたんですよ、小1の男の子がw


つきあうって何?と私は思いましたが、そのうち根負け(?)して、「いいよ」と言いました。


好かれることはうれしかったし、抜けるように色が白くて髪が茶色く、犬コロみたいにふわふわくりっとしてるところも気に入ったのです。


「なんで髪、くるくるってなってるの?」


どストレートの黒髪をマッシュルームヘアにさせられていた私は、うらやましくてそう聞きました。


「天然パーマだから。天パーっていうんだよ」


真弓くんが胸を張ります。 天パー? うちに帰ってさっそく母に言いました。


「私も天パーかけるっ」


母は今でも、その時のことを笑います。


つきあうといっても小1のことなので、お手手つないで一緒に帰ったりするくらいでした。


といっても私の家は学校から徒歩3分なので、3分でデートが終わってしまいます(今考えると、彼はいっちょまえに私を送ってくれていました)。


なので時々、学校のまわりを無駄にぐるぐるしてシロツメクサを摘んだりしていました。
かわいいものです。


そんな真弓くんとは3年生の時にクラスが別れてしまい、今度は「ケンちゃん」という男の子と仲良くなりました。


ケンちゃんとは一緒に飼育委員をやった縁でニワトリ小屋で仲良くなり、どういうきっかけか忘れましたが交換日記をしていました。


交換日記をしていることを真弓くんに言っていたのかどうかも忘れましたが、もし黙っていたなら、小3の私はなかなかワルですねw 


あいかわらず女の子の友達はいませんでした。
ゴム飛びなど流行っていましたが私は興味が持てず、休み時間はむっつりと本を読んでいました。


ケンちゃんはシャイボーイで、交換日記は熱心に書いてきてくれたし、時々電話もくれるのに、学校ではあまり話しかけてくれませんでした。冷やかされるのがイヤだったようです。


当時、母はよく「真弓くんとケンちゃん、どっちが好きなの?」とからかっていました。
父は、ケンちゃんのほうが見どころがあるなどと言っていました。


そうこうするうちに4年生になり、なんと真弓くんが長崎に転校していってしまいました。


地図が読めない女でしたがとても遠くに行っちゃったということはよくわかり、もちろん悲しんで文通などしていましたが、そのうち音信不通になりました。


恋は3年で冷めると言いますし、きっと彼は新天地で新たな恋人を見つけたのでしょう。


そして5年生になってまたクラス替えがあり、今度はサッカーが得意な「三浦くん」が熱心に家に誘ってくれるようになって、彼のお母さんがいつも紅茶とケーキを出してくれてうれしかったなぁと……


とか、いろいろ思い出していくと、この頃の私はヘンテコ好みの男の子としか仲良くなれず、それも中学生になると変に意識してしまってダメで、女の子ともなかなかうまくいかなくて部活では半分ハブにされてるし的なひどい状況であったと思います。


それでもあまし悩まなかったのは、「別にいいや」って思ってたからなんですね。


淋しくないことなかったんだけど、「別にいい」っていう気質のほうが強かったんですね。


ところが女子高に入って、その性格が一変します。
とかいって、なんかだらだら書いてたら長くなってきたので、続きはまた今度。


最近、いろいろ思うところあるのですよね。どうにも子どもっぽい自分についてね。。。