やさしいけれど、哀しい言葉

連発されるACの広告、ぽぽぽぽーんにはまいりましたが、金子みすずの詩はいいなあって思います。

「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。


「ばか」っていうと「ばか」っていう。


「もう遊ばない」っていうと「遊ばない」っていう。


そうして、あとでさみしくなって、


「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。


こだまでしょうか、いいえ、だれでも。


思わずあははって笑って、それからふと、しんみりする感じ。


CMの影響で、この「こだまでしょうか」という詩がおさめられた金子みすゞ童謡集『わたしと小鳥とすずと』(JULA出版局)という本が品切れになるほど売れているらしいです。わかるなあと思います。


「こだまでしょうか いいえ、誰でも」――CMで話題の金子みすゞ詩集を読んでみたい


金子みすずといえば、私は、「昼のお星はめにみえぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。」(『星とたんぽぽ』)の詩の人というイメージでした。


教科書に載ってたのかなあ。
そっかー、言われてみればそうだよね、おもしろいこと思いつく人だなと思っていました。


ところが、3年くらい前かな、お仕事で山口県に行った時、通りすがりに「金子みすゞ記念館」を見かけて、一度通り過ぎたんだけど、なんとなく気になって、わざわざ車を引き返してもらって立ち寄ってみたのね。


そしたら、26歳で非業の死(自殺)を遂げた、とても哀しい詩人だったの。

金子みすゞ記念館サイトより抜粋)
彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。


 ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。


これねぇ、すごいマイルドに紹介されてるけど、立ち寄ったその日、記念館の展示や解説を見ていったら、ちょっと絶句するようなエピソードが次々出てきて、私はものすごく胸が痛くなってしまった。


みすゞさんね、つまり投稿少女なんですよ。


田舎に生まれ育って、詩人に憧れて、こっそり詩を書いて東京の雑誌に送った。


それが撰者(西條八十)の目に止まって掲載されてワッ!ってなるんだけど、撰者が代わったら「俗だ」「つまらん」みたいなことを言われてとたんに冷遇されちゃう。


でもね、西條八十はあくまでみすゞの才能を認めていて励ますのね。で、文通とかするの。


ところがそれが気に入らなかったのか、旦那が「詩などくだらん真似はやめろ!女のくせにこの恥知らずめ!」くらいの勢いで詩作も文通も禁じてしまう。


そんな横暴あるかと思うけど、この時代はそれがまかり通ったんでしょうね。


で、この旦那がもー最悪でさ、みすゞを愛するあまり詩作やら文通やら禁じたのかと思ったら、自分はろくに働きもしないで女遊びをしまくった挙句、淋病もらってきてみすゞにうつしちゃったりするのよ。


まあ、離婚だよねそんなの。


そしたら子どもはこっちによこせ!って、またひと悶着でさ。


で、結局、みすゞは自害しちゃうんだけど、その前にね、西條八十が用事か何かで下関に来るのよ。


そのことを手紙で伝えたら、みすゞは子どもをおぶって、遠い道のりを歩いて、会いに来たんだって。


旦那やまわりの人には黙ってきてるから、ほんのすこし話しただけっぽい感じだったと思うけど、なんだかそれがすごく哀しげに紹介されていてね。


西條八十がたぶんそういう哀しい印象を持ったんだったと思ったけど(ごめんね、うろ覚えです)、なんか励ましたんだけれど彼女は疲れた顔で、でもけなげにも笑って、それが儚げで…みたいな?


詳しいことは忘れちゃったけど、とにかく私が思ったのは、みすゞがこの時、自分の詩をただひとり認めてくれる詩人の元に野越え山越え会いに行った、会いに行かないではいられなかったというその心の内の切なさよね。


なぜ書きたかったかは知らないけれど、とにかく彼女は書きたかった。


認めてくれる人もいた。それも都会の憧れの詩人が絶賛してくれた。


遠くの光だよね。かすかにみえる瞬きだ。


そのことを励みに彼女は心の声にしたがって書き続けたのだろうけど、周囲の理解はまるでなく、泥から抜け出せないような環境で、いつしか絶望が彼女をむしばんでいって……。


というようなことをね、勝手にだけれど私は想像してしまって、そうしたら、「見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでも、あるんだよ」という言葉の意味が、まったく違って感じられた。


あんなにやさしい童謡を、やさしい言葉で、夢のように描いているようで、でも違う。心の奥にあったほんとうのこと。


なんてね。思ってるうちになんか私、ちょっと泣けてきちゃってね。


いや、最近泣いた話ばっかりしてますけど、別に涙もろいってわけじゃないんです。


でも、彼女がかすかに夢見たことや、絶望のうちに死を選んだ気持ちって、わからないことなかった。


人は、誰でも、ここにいるんだよって、見つけてほしいことあるんじゃないかな。


誰にもわかってもらえなくていいってうそぶいたとしても、認められたらうれしくて。


まわり中から頭おかしいって斬りつけられても、信じたいんじゃないかな、自分のことを。


まあいいんだけど、とにかく私は展示を見ながらちょこっと泣いて、彼女の詩集を一冊買って帰ったのでした。


と、いうだけの話なんですけどね。また長くてごめん^^;


彼女の詩はさ、なんだかぽかんとしてるのよね。


童謡だからね、気難しくもないし、苦悩でもないし、西條八十の次の撰者が酷評したように、稚拙だ単純だと言われてしまえばそうでしょうねという表現も多い。


だけど、私は好き。やさしくて、哀しい言葉だから。


気取ってこむずかしく書かれた言葉よりずっと、私は切なくなるのです。