スイカの三角形。
それは戯れに恋人に、「どうして私を好きになったの?」と聞いてみた時のことでした。
私としてはものすごくロマンチックな答えを期待していたのですが、彼女が言ったのは、
「スイカの三角形をくれたから」
という、「は?」というひと言でした。
まだ知り合いだった時に、なにかの集まりでみんなで一緒にスイカを食べていて、どうやら私その時に、切ったスイカの一番てっぺんの三角形の甘い部分を、たまたま隣に座っていた彼女にあげたらしいのです(覚えてない)。
彼女はスイカがとっても好きで、たぶん私はそのあまりに好きそうな様子を見て、「じゃあ、これあげる」ってほんとに軽い気持ちで、自分のスイカの一番甘い部分をヒョイとあげたのだと思います。
私だってスイカは好きだし、てっぺんの一番おいしいところを三角形にちょこっと折って、皿の脇にとっておいたのですが(いつもそうする)、そんなに好きなんだったらあげるわって、ただそれだけだったと思う。
ところが彼女はそのことにチョー感動して、それで私のことが気になり始めたというのです。
で、仲良くなって、この人が恋人だったらいいなぁと思うようになっていったと。
それは実のところ、私が満足いく答えではありませんでしたが(だってちっともロマンチックじゃないじゃん!)、でも、ふうん、人ってそういう仕組みで感動するんだなあって驚きました。
単純になにかモノをくれるとか、なにかやってくれればうれしいというわけではないんですね。
もちろん感謝はするでしょうが、欲しいものじゃなきゃ迷惑だとか、おせっかいだとかいう人は結構いる(どうかと思いますが事実です)。
しかしどんな人もきっと、「わぁすごいな」とか「えっ、無理してない?」って思うようなことを、ふいに差し出されると感動する。
こちらからお願いしてとかではなく、向こうからふいに。
そしてなにを「すごいな」と思うかは人それぞれで、ある人にとっては「好きな人にだってしないよ」というようなことも、ある人にとっては「そのくらい友達にだって当たり前じゃない?」っていう感覚だったりする。
つまり、当時の彼女にとっては、自分がよけてとっておくほど好きなものを、人にあげるなんて想像できないことだったのでしょう。
で、それをたまたま隣に座った人にヒョコッとやった私に驚いた。
そこの感覚の差に、感動が隠れていたわけですね。
てゆうか、スイカでいいの? 楽勝すぎない?って気がしますがwww
こう書いてると私っていい人って感じですが、こういう性格なので、逆に人に対してすごく意地悪なところもあります。
人がなにかがんばってるという話を聞いても、「そんなの楽勝じゃない?」「当たり前でしょ?」って思うことが多くて、感動しにくいんですね。
むしろ、「えっ、なんでそんなこともしてくれないの?」「どうしてそのくらい考えつかないの?」ってほんとに疑問で、不服に思うこともよくある。
「ちょっとくらい無理しなよ」とか「もっとやる気みせなよ」とかさ(笑)。
もともとの期待値が高い。そして傲慢だし、贅沢なのです。
でも感覚は人それぞれなんだということを、自分基準でなく考えられるようになった時、本当に強くやさしくなれるんじゃないかという気がして、
まだ遠い話だけど還暦までにはなんとか、とか、思ったりしています^^