水の中の世界
寝不足だったせいもあって今朝は、ぼんやりしたまま出かけ、
指定されたスタバにすこしはやく着いてクライアントさんを待つ間、
脳が、すこしずつ、ビジネス用に切り替わっていく感覚が、
まるで水の中から陸に上がるようだと思いました。
私は以前、『水の中の世界』という娘。小説を書いたことがありますが、
その冒頭に(しかも福井弁で)書いたのは、中学生を卒業するくらいになる頃まで、私自身が実際に感じて、苦しんでいた感覚で、
あの頃は「水の中が、本当の世界かもしれんよ?」と考えることで、
現実が気持ち悪いという感覚と折り合っていました。
いま思えば子どもらしい、よくある感覚(たぶん)で、むしろ微笑ましいくらいですが、
当時、最もひどかった頃は、あまりに思い詰めて、体の中に虫が這いまわるような感覚に襲われたりして、精神的にも、肉体的にも、とてもつらかったんですね。
『癒しのメソッド』では、夜、頻繁に悪魔に襲われる感覚がして怯えるようなシーンを書きましたが、ああいうのも本当に悩まされました。霊感とかそういうことではなく、少女時代特有の、心身症の一種だったんでしょうね(てか中2病?)。
いまでもまだ、「なにを根拠に、どれを信じるの?」というような思いに囚われることはあります。
答えはひとつで、結局のところ、自分を信じるしかないと思うのですけれどもね^^
だって、最終的に自分のこと、誰が責任とってくれるわけでもないもの。親でさえ。
そのことを認めることってわりと過酷で、物事がうまくいかなかった時、「ママがこー言ったから!」「あなたがあー言ったから!」なんてキレて、人に謝らせれば満足な性格ならいいのだけれど、
そんなの意味がない、し、納得だってできない、と、思ってしまうから、
「私が決める」「私は、私のものだ」と、いつも無意識に、かつ自意識過剰に緊張していて、子どもの頃は地面が揺れたのね。
オトナが気まぐれに発する言葉に右往左往してね、なにを信じていいかわからなくて。
ほら、自分も大人になると「はいはい」って聞き流せることも、子どもって真剣にとらえたりするじゃない。
昨日と今日で言うことが違うとか、わけわかんないことで癇癪起こされたりとか、納得できない教師の暴言とか、そういうこと。
今だったらそんなの当たり前じゃん、親だって先生だって人間だもの、あーハイハイ、ってことが、怖くて、不安で、吐きそうに気持ち悪くなってた。
実際、しょっちゅう吐いてたんです、中学生の頃は。生物を感じるもの(肉とか卵とか)が食べられなかったしね。いや、思春期ですねー^^; 共感力が低くて、女友達とうまくつきあえなかったし。
そして大学生くらいまで、真夜中の唐突な呼吸困難(いま思えば過呼吸)に悩まされていました。
あ、またなんか話が遠回りしてますけれども、そんな自分もたいそうふてぶてしくなって、てゆうか、しっかり親に似て私も癇癪持ちなのは問題だと思うんだけど(笑)、
それでもブラックに気が利いてる愉快なお友達連ができて、ブラックに気が利きすぎてるけど必ず私のそばにいて、転びやすい気持ちを助けてくれる恋人がいて、
うーん、まあいろいろ悩みだってあるけど、子どもの頃よりも私、ずっとずっと幸せで自由だなと思っていたら、
私はいつの間にか、あの頃、そこに行きたいと思っていた水の中の世界に、いつの間にか生きてるということに、今日、ふと気がついたのです。
空が透ける青い水の中で、私は、ぼんやりと耳を澄ましている。
自由に泳ぎ回り、静かに沈み込んでいく、穏やかな気持ち。
目の前に立ち上る美しい気泡。放射状に差し込んでくる銀色の光。
気ままな、自分だけの空想の世界。
そしてそこから陸の上にも自由に上がる。
すこし億劫な時もあるけど、そこは刺激的で楽しくて、私を待ってくれてる人たちもいて、きちんと責任を果たして、木の実をもらって、それからまた自分だけの水の中の世界に帰っていく。
そんなふうに自己と、世界を、いつの間にか軋むことなく行き来してると感じて、
大人になるっていいなあと思ったことでした。
大人ってこんなにのんきじゃないよって感じかもですけれど、つまりいろいろと折り合いがつくようになったんです、というお話でした。