百合男子
百合男子おもしろーい!^▽^
こういうの私は大好き。おすすめです。
百合男子 1 我思う、ゆえに百合あり。 (IDコミックス 百合姫コミックス)
- 作者: 倉田嘘
- 出版社/メーカー: 一迅社
- 発売日: 2011/08/18
- メディア: コミック
- 購入: 11人 クリック: 131回
- この商品を含むブログ (24件) を見る
「我思う、故に百合あり。だがそこに我、必要なし。」だって。
どんだけ自虐なのっていうw
百合が大好きで、クラスメイトの女子たちで百合妄想してハァハァしちゃうメガネ男子くんのお話です。
という内容なので百合的な萌えはないのですけど、いわゆるポルノ目線じゃなくて、心から「百合」という女子同士の恋模様を愛してる感じに、とても好感を持ちました。
こんな男子がいたら、お友達になりたいわw かわいい^^
これ、作者の倉田嘘センセイご本人が、まずもってそーとーな百合男子なのね。
で、その百合萌えっぷりが、はたから見てるとハンパなく面白いんでしょう。
あとがき等を読むと、センセイ本人はもう萌っえ萌えで百合ん百合んなお話を描きたいのに、(男子ゆえに?)ネタ切れしちゃって、
「もうダメだ〜(泣」って、コミック『百合姫』の編集長に愚痴りつつ、自虐で「百合好きの百合男の情けない話しか思いつかない!」みたいなことを言ったら、
「あ、それやろ〜よ」って展開だったみたい。
で、冗談だろこっちはマジ凹んでんのに…と思ってたら、「あれ、いつ描き始めるの?」「はやく描いてよ」ってしつこく焚きつけられて、立派な企画書バサーッて見せられちゃって、巻頭カラー用意されてて、え〜っマジかよ!?マジで描くのかよ!?みたいな展開だったらしい。
編集者が「これは斬新だ」「当たる!」って、やたらピコンときてるのもすごいけど、
作者本人が「こ、こんなのほんとに描いていいのかッ…!?」って、初回はマジ処刑台にのぼる気持ちだったとか、
今でも「ギャグのつもりはない!」とかっていうのがまた面白いですねw
内容も、主人公の男の子が「百合名場面名鑑」とか勝手に作成してて、
『他の子と遊ばないで』とか、『あなたに触れた指先が愛おしい』とか、『嫌なら止めるけど』とか、黄金の百合萌えシチュみたいなのがあって(ウケるww)、
リアルでそういうシーン(と思われる状況)を目撃するたびに、キマシタワァァアアアー!!!とか鼻血吹いてるのがおかしいww
百合はファンタジーかリアルかみたいなことで百合男子同士が殴り合いのケンカになったりとかさw
倉田センセイはこのジャンルの先駆者として、一時代を築かれるんじゃないかなという気がします。
実際、その方向性がとても合ってらっしゃる方だと思う。
それって作者様ご本人には少々申し訳ない感想なのかもしれないのですけれど、
この方の百合マンガも一通り読んでみて、まず絵がかなり巧みな漫画家さんではないかと思うし、
百合愛が徹底しているだけにストーリーも良質と思いましたが、それでもなお、『百合男子』のほうが断然、だんっぜん面白いの。
これがまさにリアリティってことなのかな。迫力がある。
力のある人って、どんなジャンルでもどんな方向性でも、いくらでもうまいこと描けるんでしょうけれど、
やっぱ「この人はこれだな」ってとこにバンッとはまった時の迫力、面白さってものすごいものがあるんですね。
なんだかそのことも印象的だった、『百合男子』でした。
こないだ発売されたばっかですが、もう初版とほぼ同数の重版決定ですって。
すごいね〜……。でも、わかるわ^^
本日も百合ネタ
梨華ちゃんのブログが、たいへんないしよしになっているようですがw
存分に仲良し自慢ができるようになって、よかったよかった。ハンアン万歳。
萌えさせていただき、ごちそうさまでしたm(_ _)m
さて、世間は10年に一度と言われる百合ブームなのですって?
『ゆるゆり』の影響が大きいのでしょうか。私はまだチェックしていないのですが……。
でも、ほんと百合マンガがいっぱいあってびっくりするー。
私が知らなかっただけなのね。
というよりも、「ない」と思い込んでいたの。
実際、私が高校生の頃とかは、なかったのよ。
小説は、松浦理英子センセイの『ナチュラルウーマン』が衝撃的でね、
あと、仁川高丸センセイの『微熱狼少女』とかね。
読んでて、胸がばっくばくしましたね。
その頃の私は、自分のセクシュアリティなんてわからなかった。
わからないふりをしていたのね。
そうと認めるには疑問な点もあったし、認めたくないという気持ちもありました。
うーん、とにかく疑問が大きかったよね。私は私がわからない、ってやつね(ネタ古w
だから、同性愛をテーマにした小説を、新刊目録とか文庫目録とかで探しては、コソコソ読んでいたし、
マンガも探したと思うんだけど、これっていう記憶がないから、見つからなかったか、読んでも記憶に残らないような内容のものだったのだと思う。
だから、今こんなに良質な百合マンガがいっぱいあって、アニメもあって、情報もいっぱいあって、いいね^^
今のところ、ガチとは違う、萌え追求の作品が、より売れているようにも感じるけどね。
女の子いっぱい出てきて、いちゃいちゃして、萌え萌え〜、みたいな。
私もそういうの書いてみたいって思うんだけど、マジレッサーで、すぐガチ勝負になっちゃうからむずかしいわw
はやらないわねぇ。でもいいの。
楽しい時代になってきたんだなあって、それがすごくうれしいから^^
オスカル×ロザリー 守り続けたい乙女の輝き…
昨夜、淑女会だったのですけど、
食後にロバが、オヤジくさく新聞を広げていて(いつも)、
んで、「すげー商品がある」といって、記事内で紹介されていたアットコスメで人気だというフェイスマスクの商品写真を見せてくれました。
オスカル&ロザリー・ラ・モリエール密着マスク
これを見て、「えっ、ロザリー!?」と、どよめいた淑女連。
オスカル×アンドレとか、マリーアントワネット×フェルゼンとか、もっと華やかな選択肢があるじゃないのと。
後から調べてみたところ、その組み合わせの商品もあって、なーんだと思いましたが、
その時は、その情報が出てなかったから、「なぜ、わざわざロザリー!?」と、どよめいたわけです。
ちょこっと説明しますと、ロザリーは、オスカルのメイドさん(?)っていうことになるのかな?
とにかくオスカルの身の回りのお世話係の少女で、叶わぬと知りつつも密かに“オスカル様”に恋をしていて、オスカルも彼女をとてもかわいらしいと思っています。
で、淑女連ではコパンダちゃんが、そのオスカル×ロザリーに萌え萌えしまくる少女時代を過ごしていたらしく(もちろん自分はロザリー)、
初めてその話を聞いた時、私は心底びっくりしたんですよね。えっ、そこ!? みたいな。
ロザリーに自己投影するってことが驚きだったの。オスカルとか、マリーアントワネットならわかるけど、って。
今はわかりますよ。ロザリーってつまり、乙女の権化。
このキャラは重要です。 ←
光輝くような素敵な人に尽くしたい。身の回りのお世話をしたい。そしてかわいいって言われたい。あわよくば抱かれたい。ああ、私の王子様……。
とか、うっとりしちゃう100万人の乙女たちの代表、それがロザリーなのです。
あー、もっかいベルばら読もうかな。池田理代子先生のキャラ設定がパーフェクトすぎて怖いわ…。
それでね、話は戻りますけど、なんでこのフェイスマスクは、オスカル×ロザリーなのかと。
インターネッツ等をつかった最新のマーケティングの結果、トップ・オブ・乙女たちの需要は、やはりオスカル×ロザリーなのかと。
それについて小1時間くらい語ってたわね。結局、他の商品もあったわけだけどさ。
に、しても、この商品コピーが、それぞれ痺れるのよ〜。
まずもって商品自体のコンセプトが「もう離れない、離さない。」らしいんだけどさ、(ぴったり吸いつくフェイスマスク的な?)
オスカル×ロザリーは、「もう離れない、離さない。守り続けたい乙女の輝き」、
マリーアントワネット×フェルゼンは、「もう離れない、離さない。気高く愛らしい貴女の女神肌」、
オスカル×アンドレは、「もう離れない、離さない。儚くも美しいおまえの真珠肌」、だって!
うまいわ〜。全方面カバーって感じ。
てゆうか、やっぱロザリーは“乙女”なんだ、っていうw
まぁ、わたくしは、マリーアントワネットを買わせていただきますわ!(オーホホホホ…
百合っぷる。
アマゾンの「おすすめ商品」が百合漫画とハロプロで埋まった件w
現在、どんだけ百合百合しいの私、っていう。
ところで、女性同士のカップルのことを、最近は(てゆうか百合業界では?)「百合っぷる」って言ったりするんですね。
「お友達の百合っぷるが……」というように使ったりするらしい。
なんだか、かわいい言い方。好きだなと感じました。
女に生まれながら、女の人を好きになって、女の人とおつきあいしていることを、私はとても前向きにとらえている、と、思いますが、
でも今のところ、誰かれかまわず、すすんで言いふらしたいことではありません。
そこにいたるまでのさまざまな葛藤が私自身をためらわせたりするし、
万が一、誤解や侮蔑を受けてしまった時に、反発するよりもまず、深く傷つく自分がいることが、わかるからです。
愛にかかわることですからね。
だけど、ひた隠しにしたいかというと、そうでもない。
だって、愛にかかわることですから。
ほんとうは、もっと気楽に、なんの勇気も必要なく、「うちの彼氏がさー」と言うように、「私の彼女がね」と言えたらいいなと思うし、
そうきっぱりはできない自分を、かっこ悪いかなあって感じたりもします。
そんな私にとって、女性同士のカップルを表現する言葉はなかなか微妙で、
「レズカップル」は社会的にも言語道断でしょうが、一般に推奨とされる(?)「ビアンカップル」という表現も、どこか硬質で、口にしにくく、
たいてい、「えーと、彼女たちは女の子同士でおつきあいをしているのだけれど…」という、たいへん文字数を使った表現を用いる、ということになっていました。
そこまで気をつかっているのに、相手に「え、それレズってこと?」とか端的に言われて、うぐっ…となったりするんだけどさ(笑)。
でも、これからは「百合っぷる」を使ってみようかな。
「まあ、いわゆる百合っぷるなんですよ」とか。かわいらしいし、文字数減るね! ←
わかんない、でもそこでまた「え、それレズってこと?」とか端的に聞かれて、うぐっ…てなったりするんでしょうけど(笑)。
水の中の世界
寝不足だったせいもあって今朝は、ぼんやりしたまま出かけ、
指定されたスタバにすこしはやく着いてクライアントさんを待つ間、
脳が、すこしずつ、ビジネス用に切り替わっていく感覚が、
まるで水の中から陸に上がるようだと思いました。
私は以前、『水の中の世界』という娘。小説を書いたことがありますが、
その冒頭に(しかも福井弁で)書いたのは、中学生を卒業するくらいになる頃まで、私自身が実際に感じて、苦しんでいた感覚で、
あの頃は「水の中が、本当の世界かもしれんよ?」と考えることで、
現実が気持ち悪いという感覚と折り合っていました。
いま思えば子どもらしい、よくある感覚(たぶん)で、むしろ微笑ましいくらいですが、
当時、最もひどかった頃は、あまりに思い詰めて、体の中に虫が這いまわるような感覚に襲われたりして、精神的にも、肉体的にも、とてもつらかったんですね。
『癒しのメソッド』では、夜、頻繁に悪魔に襲われる感覚がして怯えるようなシーンを書きましたが、ああいうのも本当に悩まされました。霊感とかそういうことではなく、少女時代特有の、心身症の一種だったんでしょうね(てか中2病?)。
いまでもまだ、「なにを根拠に、どれを信じるの?」というような思いに囚われることはあります。
答えはひとつで、結局のところ、自分を信じるしかないと思うのですけれどもね^^
だって、最終的に自分のこと、誰が責任とってくれるわけでもないもの。親でさえ。
そのことを認めることってわりと過酷で、物事がうまくいかなかった時、「ママがこー言ったから!」「あなたがあー言ったから!」なんてキレて、人に謝らせれば満足な性格ならいいのだけれど、
そんなの意味がない、し、納得だってできない、と、思ってしまうから、
「私が決める」「私は、私のものだ」と、いつも無意識に、かつ自意識過剰に緊張していて、子どもの頃は地面が揺れたのね。
オトナが気まぐれに発する言葉に右往左往してね、なにを信じていいかわからなくて。
ほら、自分も大人になると「はいはい」って聞き流せることも、子どもって真剣にとらえたりするじゃない。
昨日と今日で言うことが違うとか、わけわかんないことで癇癪起こされたりとか、納得できない教師の暴言とか、そういうこと。
今だったらそんなの当たり前じゃん、親だって先生だって人間だもの、あーハイハイ、ってことが、怖くて、不安で、吐きそうに気持ち悪くなってた。
実際、しょっちゅう吐いてたんです、中学生の頃は。生物を感じるもの(肉とか卵とか)が食べられなかったしね。いや、思春期ですねー^^; 共感力が低くて、女友達とうまくつきあえなかったし。
そして大学生くらいまで、真夜中の唐突な呼吸困難(いま思えば過呼吸)に悩まされていました。
あ、またなんか話が遠回りしてますけれども、そんな自分もたいそうふてぶてしくなって、てゆうか、しっかり親に似て私も癇癪持ちなのは問題だと思うんだけど(笑)、
それでもブラックに気が利いてる愉快なお友達連ができて、ブラックに気が利きすぎてるけど必ず私のそばにいて、転びやすい気持ちを助けてくれる恋人がいて、
うーん、まあいろいろ悩みだってあるけど、子どもの頃よりも私、ずっとずっと幸せで自由だなと思っていたら、
私はいつの間にか、あの頃、そこに行きたいと思っていた水の中の世界に、いつの間にか生きてるということに、今日、ふと気がついたのです。
空が透ける青い水の中で、私は、ぼんやりと耳を澄ましている。
自由に泳ぎ回り、静かに沈み込んでいく、穏やかな気持ち。
目の前に立ち上る美しい気泡。放射状に差し込んでくる銀色の光。
気ままな、自分だけの空想の世界。
そしてそこから陸の上にも自由に上がる。
すこし億劫な時もあるけど、そこは刺激的で楽しくて、私を待ってくれてる人たちもいて、きちんと責任を果たして、木の実をもらって、それからまた自分だけの水の中の世界に帰っていく。
そんなふうに自己と、世界を、いつの間にか軋むことなく行き来してると感じて、
大人になるっていいなあと思ったことでした。
大人ってこんなにのんきじゃないよって感じかもですけれど、つまりいろいろと折り合いがつくようになったんです、というお話でした。